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シルクの歴史をご紹介♪


シルクは紀元前に中国で生産が始まったといわれている、非常に歴史のある繊維。
シルクロードを経て、世界各地に広まっていきました。
日本で一大産業にまで発展したシルクの歴史を紐解いていきましょう。



世界のシルク歴史

シルクロードを通じて世界に広まっていったシルク。どのように広まっていったのかをみていきましょう。


1.シルクは中国から

シルクの生産は紀元前3000 年~6000 年頃、中国で始まったといわれています。
紀元前1000 年頃のエジプト遺跡から、中国絹の断片が発見されているため、
シルクロード(絹の道)を通じて輸出されていたことが伺い知れます。

その後、古代ローマでもシルク人気が高まり、法律でシルク製品を禁止したほどだったそうです。


2.シルクがヨーロッパに伝わる

6世紀になって東ローマ帝国でシルクが生産されます。

12世紀ではヴェネツィアがシルク貿易に力を入れたため、イタリア各地で生産されるようになりました。
やがてフランスの南東部リヨンが、シルク生産の中心となっていきました。

一方、シルクの国産化に失敗したイギリスでは、中国産の良質な生糸を多く輸入しました。
しかしイギリスが中国(清)に輸出できるものは望遠鏡など、
当時それほど中国で需要がないものばかりだったので、イギリスの貿易赤字は膨らんでいきました。

そしてその穴埋めとして、イギリスは当時植民地であったインドでアヘンを生産し、
中国に輸出したのです。これがアヘン戦争へと発展していったのです。

当時のシルクの存在の大きさが伺えますね。



日本のシルク歴史

弥生時代にはシルクが伝わっていたとされる日本。古くから多くの人に愛されていたようです。


1.シルクのはじまり

弥生時代にはシルクの製法は伝わっていたようです。
弥生時代の遺跡から絹織物が出土しており、当時から絹の生産が行われていたと考えられます。

その後、3世紀〜7世紀ごろに大陸から日本に渡ってきた渡来人によって、
中国の技術が持ち込まれ養蚕が盛んになっていきます。

室町時代からの戦乱などの影響で、日本産の蚕は劣悪となっていきますが、
江戸時代の到来とともに、各地で品質改良が進められます。
江戸時代中期には、日本産のシルクは中国産と比べても見劣りがなくなるほど良化。
そのため、幕末の開港後は、シルクが日本の重要な輸出品となったのです。


2.シルクの最盛期

シルクが日本の重要な輸出産業となったことを受け、1872年に富岡製糸場の操業を開始。
当時としては、世界最大規模の工場でした。

富岡製糸場の後に建設された、中国(上海)の寶昌糸廠などの機械化でシルクの生産量が増大。
シルクの国際価格が暴落を招くこととなり、ヨーロッパのシルク生産に大打撃を与えました。

当時、富岡製糸場の機械化を技術指導したのはフランス人のポール・ブリュナ。
機械はスイス製でしたので、皮肉なものです。

1909 年、日本の生糸生産量は世界最高となります。
その後、生糸は明治、大正と日本の主要な外貨獲得源でしたが、
1929 年以降の世界恐慌で世界的に生糸価格が暴落したのが原因で、
日本のシルク産業に陰りがみえてきました。


3.シルクの衰退

第二次世界大戦により、欧米では日本などアジア諸国との貿易が途絶えたため、
シルクの価格が高騰。そのため、ナイロンやレーヨンなど、化学繊維の使用が盛んになります。

戦後、日本のシルク生産は衰退。
1998年の統計では、日本は世界第5位の生産高でしたが、
中国・インド・ブラジルの上位3ヶ国で全世界の生産の9割を占め、
4位のウズベキスタンは日本を大きく引き離していました。
2010年には、日本国内の製糸会社は2社のみとなっており、衰退が顕著になっています。


まとめ

2000年も前に日本に伝わったシルク。
多くの先人たちのおかげで、今ここにシルクがあることを知れました。
シルクは古くから人々を魅了し、愛され続けています。

これからもシルクの歴史を紡いでいきたいですね。